映画鑑賞「秋日和」
『秋日和』(1960)
仲の良い母娘がいて
年頃になった娘を、独り身の母は気遣うのですが
独り身の母を、年頃になった娘も案じていて
そんな美しくて穏やかな幸せを
平々凡々な生活を過ごしていた周りが放っておいてくれる筈もなく
美しい未亡人に未練たらたらな男たちは、男やもめの大学教授とお母さんをくっ付けて
次は娘の縁談だと
いらぬ世話焼きを始めてしまい……
若い頃に見た会話の妙も、今となっては旧態然とした男尊女卑の面影ばかりが目立ち
此処に旬はありません
悪目立ちする、草臥れた男たちとその家族たちが
自分たちの思う幸せを、他人に押し付けるその醜悪さに驚きました
半世紀前にはまだ当たり前に
お節介な見合い話を幾つも抱えた有閑マダムや窓際上司が、こうした悪事を働いていたという事実を
小津安二郎は野田高梧と(無意識に)描き出していました
半世紀を経て一般常識は激変しました
いま、小津安二郎がいたら年中怒って周りに当たり散らしていたかもしれません
それくらい女性は凛としたし、男は尻にさえ敷かれずに使い古されます
親子愛は普遍です
此処だけは生涯独身、お母さんを愛した小津の純情が輝きます
美しい女優たちの元気に未来を感じる
其処が残っていた事と
大胆な構図が詰まっている事においては
とんでもない重要作品です
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