映画鑑賞「八月の狂詩曲」
『八月の狂詩曲』(1991)
夏休みが始まり、長崎の山間部に住むお婆ちゃんの家に息子と娘の子供が4人遊びに来ました
お父さん、お母さんはお婆ちゃんの兄だと名乗る人からの連絡を受け、彼女を連れてハワイへ行こうとしたのだけど
10数人も兄弟がいた彼女には錫二郎と名乗る人物が思い出せず渡航を躊躇い、パイナップル農園を持つお金持ちの親戚が出来るとはしゃぐ2人は
孫たちにお婆ちゃんの説得を任せていそいそと出かけていたのです
お婆ちゃんから錫二郎の思い出を引き出そうと努力する4人でしたが
知ってか知らずか、他の兄弟の思い出話ばかりするお婆ちゃん
山の奥で雷に遭い、抱き合うように立っている大木
河童に救われた弟
川の中を泳ぐヘビ
そして美しい長崎の街の下に隠れている
原爆の落とされた街・長崎
山の間から見つめてきたピカの眼差し
お婆ちゃんの話に家族愛と長崎への想いを感じ始めていた孫たちは
お婆ちゃんが兄と名乗る錫二郎と会ってみようという気持ちになり始めた事を報せる手紙に、原爆の話もチラッと書いてしまいました
折り返し電報が来ました
そこには錫二郎の息子・クラークが、お婆ちゃんに逢いに行くと記してあったのです
お爺ちゃんお婆ちゃんの家で過ごした夏休み
体験した思い出は記憶という宝箱の大半を占めている人も多いんじゃないですか?
4人の子供たちはお婆ちゃんと過ごして
愛と醜さと哀しみと
戦争を知ります
人と人が殺し合う事を喜ぶ人なんていない
ただ、自分と家族が死なないように殺し合う事になって
そこに原爆が生まれたら?
人は人を殺す事で平和が戻ると単純に喜ぶべきなんだろうか
黒澤明は今までになく、優しく訴えます
だからこそアメリカ人は理解して、その優しさに恥ずかしくて怒ったんではないでしょうか
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